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牡鹿半島でテント村を準備

5月17日、夜分遅く石巻市牡鹿半島の最南端である黒崎開拓に到着。「ケロちゃん」と呼ばれる緑色の日産キャラバンには草刈り機二機が詰まっている。機械を外に出して、スタッフの滝口君と車の中で一泊。

午前5時、目が覚める。東北に甚大なダメージを与えた太平洋に挨拶すべく、けもの道を下って人影のない岩浜に到達。波に叩かれて何千、何万、何億年の「ビーチ」は、バスケットボール大の「巨大砂利」に覆われていた。どこかから流れついた神社の赤い柱や梁が誰にも気づかれないまま打ち上げられて寂しそうに回収をいまでも待っている。

午前6時からは草刈り開始。6月4~5日初めて行う「被災地応援ボランティアツアー」のテント村を設営する牧草地の一番平たいところを選んで、半島の無数に生息する鹿も好んで食べる草を二人でもくもくと倒していく。

牡鹿半島には旅館・ホテルなど一件も営業可能な状態には残っていないし、食べ物も配給されるもののみで、お金があっても生活用品が買える店は一つも営業していない。この極めて生活しにくい環境に、より多くのボランティアが安心して貢献できるように、この「被災地応援ボランティアツアー」を考え出した。 

午前8時ごろ作業が終了し、初めて半島の北側の海岸線を走って女川方面に向かった。またも、想像を絶する被害状況。南方の海岸よりも、津波がずいぶん高かった感じを受けた。道路が完全に流された場所が多く、新鮮な砂利道を10tダンプの後ろでゆっくりと北東に走った。

女川原子力発電所PRセンター10km先・・5km先・・1km先」の宣伝看板に誘導されながら、ようやくそのあまりにも立派な資料館にたどり着いた。「こんなに金が余っているなら、より安全な施設に投資しろ」と怒りながら、「休館中」との表示板がついた頑丈そうなゲートを通り過ぎた。 

人口が少ない・貧困の多い東北の海岸は、原発産業のお世話になりすぎてしまったことは今になってようやくはっきりと見えるようになった。「なぐさめ予算」がほしいあまり、「原発の安全神話」を信じすぎたのではないか。復興までの道のりは長いが、他力よりも「自力」を強調し、「自分らしい」復興を果たしていただきたい。「自分たちがリーダーシップをとって復興を図る」という「人間復活」を意味する元気が出るように、毎週末行う予定のこの企画に参加する皆様と共に牡鹿半島の被災民を助け・激励していきたい。この趣旨にご賛同の方は、是非私たちトラベル東北のスタッフと手を携えて被災者の方々に力を貸そう。

「弘前城公園さくら祭」

5/3は前日までの雨風がウソのように晴れ上がり絶好の旅行日となりました。

弘前へ向かう高速道路は北上を過ぎたあたりから乗用車が混みだし、大鰐弘前インター手前からは渋滞となり、インター下車後、通常30分程で着く弘前城まで2時間もかかってしまいました。

計画ではお城本丸にシートを敷き皆さん一緒に花見弁当の予定でしたが、車中の時計は間もなく13時...いっこうに着く様子も無く
お客様と相談の上、車中弁当に変更。

お客様が一言 「お腹が一杯になったせいか渋滞も気にならなくなったね」(^m^)

外堀
ようやく外堀が見えてきました。
車内から一声に「うわぁー!!!」  桜が満開です。

駐車場にようやく着く、はやる気持ちを抑え公園の中へ進むと、公園の中は「白とピンク」の桜が美しく咲き、自然のコントラストに感動で胸がいっぱい!
露店からは美味しそうな匂いが鼻をくすぐり、弁当を食べたばかりなのに「あ~食べたい」 !(^^)!


大勢の人混みを抜けて、ようやく本丸へ到着。
本丸の枝垂れ桜の何と妖艶なこと...


お客様方は、写真撮影する方、桜のトンネルに向かう方、露店に向かう方とそれぞれ楽しんでいらっしゃいました。

私も何度か添乗で弘前さくら祭には来てますが、こんな満開の桜と晴天は初めてでした。

震災後、私にとって初めての添乗でした。
多くの仕事がキャンセルになる中「動く事が力になる」をキーワードに急遽企画した「弘前城公園さくら祭」でしたが、実施出来ました事を感謝致します。

...朝、出かける時、朝食にと妻が用意してくれた「おにぎりとパン」
パンの製造元を何気に見ると「宮城県名取市」の地名に「動いてるんだ...」と思ったら、凄く勇気をもらったような気がして『自分も頑張ろう』と...

この度の会費よりお一人様当り500円を日本赤十字社に義援金として本日寄付させて頂きました。
誠にありがとうございました。

阿部

わさおが映画に!!

あっという間に今年も3月...早いな~(+o+)
1月の記憶がない
あっ大雪だったんだ(>_<)
2月は添乗の日々で新幹線並みの速さで過ぎ去った
(感謝・感謝)

今月も長期の添乗で、あわただしい日が続きますが、この辺でちょっと落ち着いて嬉しい話題を…

映画「わさお」が今月3月5日から上映と言う話題でほのぼのとしたCMが良く流れていますね
正直「わさお」がこんなに有名になるとは思ってもいませんでした

添乗の時良く寄る青森県鯵ケ沢の「菊谷イカ屋」のおばちゃん所には長年寄らせて頂いて
その度に美味しいイカ焼きをごちそうになっております

凄い元気で笑顔が素敵なおばちゃんなんですよ!(^^)!
去年の7月にお邪魔した際に店の脇に見慣れない「犬が...」思わず「デカっ」

おばちゃんが「こんど映画になるんだ―よろしくな―」とのこと???
「えー何々」φ(..)メモメモ

経緯を聞いたけど今一わからなかった「捨て犬」だったという事だけは分ったけど(@_@)
津軽弁と早口で...

その時の写真がこれです

わさおの店 わさおの家

「ブサかわ犬」とか言われてるけど可愛くて大人しいワンちゃんでしたよ

自分も映画見させてもらいますね
「菊谷のおばちゃん・わさお」6月に、またお邪魔しますね―

店が建替えられてたらびっくりするかも^m^

しかし、あのおばちゃんの役が「薬師丸 ひろ子」か...

阿部

最上町で介護旅行を!

去る10月8日、最上町が篠塚恭一日本トラベル・ヘルパー協会理事長と藤原一男日本福祉財団専務事を山形に招き、「介護旅行研修会」が盛大に行われました。講演内容が説得力に溢れ、予定を大きく上回った参加者が熱心に傍聴し、積極的に質疑応答を盛り上げました。我が最上町は「介護旅行」を受け入れる心の準備が相当のところまで出来上がったなという印象を強く受けました。

「藤原一男 日本福祉財団
             専務理事」
「篠塚恭一 日本トラベル・
      ヘルパー協会理事長」
「高橋重美最上町長」

藤原専務理事とは、25年来の付き合いです。出会った当初私は初来日したばかりの学生、藤原さんが同じ杉並区に暮らしていたとても面倒見のいい団体職員。その数年後、私が杉並区から離れ、付き合いが途絶えたのですが、昨年の春東京の喫茶店で「どこかで見たことがある」顔を見かけ、「どこか合ったことがありませんか」と声をかけました。数分後、当時の杉並区での縁をお互いに思いだし、20年ぶりの再会を喜び合いました。

その藤原さんは、その後15年間有名な政治家の秘書を務め、現在は福祉財団の幹部である説明を聞き、驚きました。私がその後商社マン生活、建設会社経営を経て、現在旅行会社を営んでいることを伝えたところ、藤原さんが「障害者向けの観光商品を開発しないか」といきなり言われました。

藤原さんの福祉財団は厚生省へのパイプが太く、様々な障害者団体の世話をしています。 障害者とその家族は、気持よく受け入れてくれる旅行先に困っていると聞き、当社として何らかの形でそのニーズに応えて見ようと即座決心しました。

その数ヵ月後私がいつも読んでいる横文字新聞、「ジャパン・タイムズ」で、一人で旅ができない方々のお世話をしている旅行会社あ・える倶楽部とその姉妹組織、日本トラベル・ヘルパー協会についての記事を読み、さっそく会見を申し入れました。渋谷の道元坂にある事務所を訪れ、塩塚ご夫妻に初めて会いました。仕事として不自由な方に「旅をする」という最高の自由を与えている篠塚夫妻は、幸せそうで優しく、私の協力の申し入れを快諾して下さいました。

地元の最上町は、日本有数高齢化が進んでいる町で、約15年前から老人医療や老人福祉の分野において、厚生省のモデル・ケースとして様々な取り組みを重ねて来ました。その積み重ねの結果、最上町は今「健康と福祉の町」としての誇りが高く、毎年5千人ほどの見学客がこの取組みを目で確かめるために町に来ます。当町には「介護旅行」がぴったり合うのではないかと思い、数ヶ月前に町役場に今回の研修会開催を打診しました。

大成功に終わった今回の研修会。そのおかげで「やって見よう」という前向きな気持ちが町内に広がり、年内初めての「介護旅行モニター・ツアー」を行うことが決まりました。今後の取り組みを通して、一人で旅がしづらい方々の「憩いの場」になり、同時に町民の生活と心の足しになれば、これ以上幸せな話はない、とつくづく思います。

篠塚恭一の「介護旅行でいきましょう」

先日、最上町で日本福祉財団理事 藤原一男様と日本トラベルヘルパー協会理事長 篠塚恭一様をお招きし、「介護旅行」においての受け皿作りに関する講演をしていただきました。

その時の最上町の印象や今後の介護旅行の可能性について、篠塚様が投稿してくださいました。是非ご覧ください。

屋根の無い博物館 ── 福祉のまちづくりを進める山形県最上町の挑戦

 

山形県最上郡最上町、県の北東に位置し宮城との県境に位置する小さな町である。

 福祉のまちづくりを進める町長が「介護旅行」を町民に理解してもらおうという考えから招かれたのだが、事業を企画発案したのは、なんとアメリカから来た青い目の町民だった。

 ここは町全体を「屋根の無い博物館」と見たて、来館(町)者には、「見る」「参加する」「体験する」など、町が企画した交流事業に参加できるように工夫している。この取り組みが町民にとっては、最上の宝とも言える伝統文化や地域資源の再発見、あるいはその保全・復元への理解を深める一方、都市に住む人たちとの交流に繋げていきたいという町の狙いがある。

 町長は最上のような農村が農産物を生産する場としてだけでなく、日本人の心のふるさと「里山」のある田園空間の中で、地域の伝統文化にふれることで住民も旅行者も楽しめるようなまちづくりを目指していると熱く語った。

 最上と言えば、戦国武将で越後の上杉・直江兼継と戦った最上義光を思い浮かべる。その家臣である小国日向守光基が治めたのがこの最上一帯で、屈強な山城跡が今でもたくさん残っている。土建業が盛んだった最上町、戦国時代の城址を見れば当時から土木水準の高さを知ることができる。関ヶ原合戦の頃は、伊達政宗の援助を受けた縁もあり、今でも宮城との交流は深いという。

 故田中角栄氏が最も可愛がった東北の町としても知られ、わずか1万数千人の小さな町に土建業者が70以上もあったというのには驚いた。一人親方の業者も多いからだ説明されたが、小さな町だけでそんな需要があるはずもなく、となりの宮城をはじめ県外の需要に応えてきたという。最上の土木業者は勤勉で腕のいい職人が多い評判で、宮城の建設業者からも厚い信頼をよせられている。

 コシヒカリなど米処としても有名な山形だが、最上には未だにマタギがいる。小さな集落が点在していて、同じ最上町でも気性の荒い人がとても多い村があるというから不思議だ。美味しい米作りに挑戦する農耕民族の末裔がいる傍らで、熊打ちを生業としている狩猟民族の血筋が未だにしっかり残っているのだ。

 最上では今でも腕っぷしの強い男が尊敬され、優秀な男たちほど力仕事を職業に選ぶという。そんな風土が地元土建業の誇りとなり周囲の信頼を、町はこれまでその恩恵を受け栄えてきたという。

 ところが、小泉政権の誕生とともに公共事業は激減し、土木事業がなくなった町は一気に経済が冷え込んだ。3社あった有力な建設業者は1社しか残れず、町では農業の6次産業化や医療と介護、あるいは健康保養施設の設置など福祉のまちづくりを進めることで雇用を賄っている。しかしながら、建設事業に代わるほどの産業がそう簡単に育つはずもなく、景気低迷も続いている今、医療・介護支出を減らす目的もあって、町民総出で健康と福祉のまちづくりを進めている。

 地元の名士と頼りにされる長老は、かつてしのぎを削ってきた町人同士も今は町全体のことを考え、仕事を分け合う時代に変わったという。国の政策から構造不況に陥った状態にあるのも事実だが、これまでのやり方そのものが持続可能ではなかったということも解っている。今はこれからの最上を背負う子供たちのことを考え、過去を捨て何を残すべきか決めていかなければならない時なのだろうか。

 それでも日々の食は、豊かな自然が天の恵みを与えてくれるので、食べるだけなら不自由がないというから里山のふところは深く素晴らしい。

 広大な土地を利用した町の立派な医療・介護の複合施設は町民の評判もよく経営も順調らしく、今どき医師不足や経営難で悩む全国の市町村からは羨望の眼差し、その手本を見ようと視察団がひっきりなしに来ると言う。

 加えて豊富な温泉、地産地消の食、素朴だが温かい人情がここにはある。

 これら全てを活かして要介護者の介護度が1度重くなることを防げれば、町は年間180万円の介護費用負担を軽減させることができると確信する町長の声は力強い。

 私は地元が医療・福祉系の大学と連携した高齢者研究の機関創設を提案した。高齢な人や障がいを持つ人の医療・介護施設があり、その調査研究を専門とする機関を有する地方自治体があれば、それを学びたいというニーズは国内ばかりでなく海外にもあると思う。それを町の新たな資源として売ればそれも社会に喜ばれる。町の施設に一人暮らしのお年寄りが安心して住まう姿を見て、明るい兆しを感じた。

 医療や介護サービスを提供する側からすれば、一つのところに集めて作業をする方が効率的に決まっている。しかし、高齢な人が住み慣れた我が家を離れ施設に入るのは、田舎に行くほど難しいと思う。なぜなら、年よりが別れるのは家や家族だけではない。畑や田んぼ、近所づきあい、それに先祖のお墓や鎮守さまなど、目に見えるもの見えないもの、たった一人の年よりの暮らしを見ても実に多くのものが、周りには存在しているからだ。
そこの折り合いをどうつけて新たな暮らしに移るのかがとても大事だと思う。

 現政権はやや都会的な感覚の政策が強いように思う。総理も東京の人だ。

 しかし、国会議員の多くは地方から選出されている。最上のような農村に暮らしてきた普通の年よりの思いをどうケアするのか、見えにくいこの国の将来像を今の政治には、はっきり示してくれたらもう少し有難いと思う。

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